ネットに失望する人、ネットを弾圧する人 既存の枠組みや体制・秩序の終焉
こういう記事がある。
- 「ネット失望の時代」がやってきた:歌田明弘の『地球村の事件簿』
情けない部分を引用してみよう。
こうしてネットの情報発信は、市場経済のなかで利用し利用されるものになっていった。もはや以前のような素朴な情報共有はありえず、多くの人が発信した情報は、まわりまわって「誰か」が労せずして儲ける仕組みになっている。ウェブは、社会全体の知的レベルを向上させる革命的な道具とばかりはいえず、市場経済のなかに位置づけられる娯楽ツールの側面が強くなってきた。
私にとっての「ネット失望の時代」はこうしてやってきた。
何か情報発信が特別な聖域と言いたいようで、吐き気がしそうである。
著作権は作り手を守るための権利として生まれたと思っていたが、おおもとは、出版・印刷業者を保護する制度だった
あまりにも有名な坂本龍一氏の言葉を引用する。
asahi.com(朝日新聞社):坂本龍一さんに聞く ネット時代の音楽表現とは – 音楽 – 映画・音楽・芸能
ネットは一種の民主化を起こした。それはよいことだと思っています。かつては、多額の投資をして工場を運営する一部の人や企業しか音楽の複製と頒布ができなかったが、この独占が崩れた。
さすがに坂本龍一氏は、第一級の知識人である。
『著作権』以前の時代に戻った感じだ。考えてみれば、著作権という制度で音楽が守られていたのはたかだか100年余りの話。著作権は作り手を守るための権利として生まれたと思っていたが、おおもとは、出版・印刷業者を保護する制度だった。そんな業者たちがあげる利潤のおこぼれで、作曲家が守られてきたともいえる
こういう歴史認識はすばらしい。
こういった自己客観化ができないから、自称ジャーナリストたちはインターネットを憎み呪い、隙あれば弾圧しようとするのだろう。
音楽家は、一握りのヒットメーカーを除いて職業とすることは難しくなるだろう
で、歌田明弘氏は、この最後の坂本龍一氏の言葉を捉えて、ネット絶望の根拠としているようである。
歌田 明弘 – 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)
○トップ・ミュージシャンが滅びる時代
つまり、もはやプロの音楽家としてはやっていけなくなるかもしれない、というわけだ。
とはいえ、実際、トップミュージシャンたちのこのところの危機感はそうとうなものらしい。
音楽の歴史
宮廷音楽家サリエリは、その才能に嫉妬してぽっと出のモーツァルトを毒殺したいう都市伝説がある。
モーツァルトは、成り上がりのおかかえ音楽家だった。
貴族のようなパトロンを持たなくなったのはベートーヴェンからである。
ある意味で世襲の宮廷音楽家から、才能ある貴族家の専属音楽家、そして楽譜出版やコンサートなどで生計を立てる職業音楽家と、作曲や演奏で功成り名を遂げるスタイルも、数十年で激変しているのである。
また、この時代は音楽といえばクラシックであるからして、これ以降の数々の経済的政治的文化的革命なくして、今日のクラシック以外の音楽も存在しないことになる。
クラシック音楽があまり日の目を見ないのは、他の音楽が大衆に支持されるから?
クラシック音楽家は、ジャズやロックやポピュラーのミュージシャンやリスナーに失望しているのかな?
時代とともに、人間の嗜好も変わり、主役も交代していくことは是非もない。
憎んでも、呪っても、そして力の限り弾圧しても、歴史は進んでいくのである。
「たかだか100年余りの話」で、自分たちが人類のはるか過去から遠い未来まで、同じ状態が続くとでも思っているのかね?
自分の存在、自分の職業、自分の報酬、自分の称賛、自分のプライド、自分の根拠、それらは人類史のほんの一瞬の出来事でしかないのである。